フラワーショー

  • 2021.08.15 Sunday
  • 12:34

JUGEMテーマ:ガーデニング

 

 

多くの地域で大雨による被害が報告されていますが、皆さまの地域ではいかがでしょうか。

どうか安全にお過ごしください。

ここいすみ市も毎日雨が降り続いていますが 自宅周辺はこれといった被害も報告されていません。 

心配事はたえませんが、こんな時は映画などみて気を紛らわすのもいいですね。

 

最近はコロナ禍でか、年齢によるものかわかりませんが ハラハラドキドキするような映画はなんだか疲れてしまいますが 真実に基づいた、そしてある程度結末がわかる、そんな映画は安心してみれます(#^.^#)

昨晩は眠りにつけず、見てみたかった 「フラワーショー」を観ました。

こちらの映画のあらすじ

ガーデニング世界大会<<チェルシー・フラワーショー>>に全てをかけるヒロインを描く、大逆転サクセス・エンターテインメント!!

エリザベス女王が総裁を務める英国王立園芸協会が主催するチェルシー・フラワーショー。

世界最古にして最高峰の豪華爛漫たる舞台に、あえて華やかな花を使わず、雑草とサンザシの木だけという型破りなアプローチで挑み、権威主義がはびこるショーの歴史を塗り替えたメアリー・レイノルズの真実の物語。

上流階級や資金操りなど、次々と立ちはだかる困難に”雑草魂”で立ち向かい、彼女が完成させた本当に美しい庭とはー? yahoo映画より

仕事ではお客様がご希望さている事をプロの視点のアドバイスと提案でお作りしていくわけですが 昨今の地球温暖化による気候変動にはしっかりと向き合い、要望やお悩みを解決しながらもこの殺伐とした世の中に少しでも潤いをもたらす空間をお作り出来るよう、日々の勉強や自分の意識もとても大事ですね。

私は個人的に尊敬している実業家としてピーターラビットの作者であるビアトリクス・ポターがいるのですが、ありのままの自然美のすばらしさ、それを後世に残す大事さをチェルシーフラワーショーを通じて社会にアピールしたメアリー・レイノルズさんについてももっと知りたくなりました。

事務所のガーデンも今はあまりの暑さと台風でのダメージを考えると何も手が付けられない今現在なのですが こんな雨の日は来年のお庭の構想をするのにいいですね。

「待つ」ということ

  • 2013.06.17 Monday
  • 12:38
 

「結果を待たずに何とかしてしまおうというのは、自分たちですべて解決できるという、ある種の思い上がりがあるのではないか」


先日 スミスの本棚で 千宗屋さんが語られていました。 ミーハー的ではありますが、千宗屋さんの著書の中のお言葉に
惚れバイブルとして何かあると読み返しています。



さて、千宗屋さんのお薦めの一冊。 買わない訳がありません。

「待つ」ということ 鷲田清一




まえがきに

「待たなくてよい社会になった。
待つことができない社会になった。

待ち遠しくて、
待ち構え、
待ち伏せて、
待ちあぐねて、
とうとう待ちぼうけ。

待ち焦がれ、
待ちわびて、
待ちかね、
待ちきれなくて、
待ちくたびれ、
待ち明かして、
ついに待ちぼうけ。

待てど暮らせと、待ち人来たらず・・・・・。

だれもが密かに隠し持っていたはずの「待つ」 という痛恨の思いも、じわりじわり漂白されつつある。」


とありました。


植物の生長と共に成熟を増す庭は 私達が忘れかけている この「待つ」 を強制的に体感できる場所でもあります。

いつその「期待」が叶うのか 待っている間は
ワクワク、
ドキドキ、
ハラハラ、、
胸が熱くなる想いも。

待つのは何年?
何を待つ?


庭がもたらしてくれるのは 単なる 美しさや心地よさによる 癒やしだけでなく しなくてもいい機会が増えてしまった「待つ」という行為
によって生まれる感情に 人は懐かしさを感じるのかもしれないですよね。

または 自分もこんな感情を持った人間であったのだ、という安堵感のような。






さらに読み進めたい一冊です。






美しくなるにつれて若くなる  わたしになる成熟

  • 2011.05.19 Thursday
  • 23:27
美しくなるにつれて若くなる (ランティエ叢書)/白洲 正子

¥1,050
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昨年読んだ本ですが、色々学びが多かったです。

その中の文章で 市の移住者促進や諸々の活動についてなんとなく しっくりとこないと思うところがあり、そんな思いとつながる内容があったのを思い出しました。 以下本文より


チェホフの小説に、田園の生活を描いた作品がある。 今、その本が見当たらないので、題は忘れたが、都会の若い夫婦が、理想にもえて、田舎へ引っ越して来る。 奥さんは無類の善人である上、信仰心が深く、無知な村人に、神様を信じるようにすすめたり、不潔な生活を改めさせようと、毎日熱心に説いてまわっている。時には、死にかけた子供を救った事もあり、病気の老婆を見舞うなどして、その努力は涙ぐるしいほどであった。彼女も善行をほどこすことに大きな満足を味わっていたが、、深くつきあえばつきあうほど、村の人々は感謝するどころか、次第に悪意を持つようになり、夫婦はついに居たたまれなくなって、村を去ってしまう。自分たちはあんなに親切にしてあげたのに、どこが間違っていたのか、人の好すぎる彼らには永久に合点がいくはずもなかった。
彼らが住んでいた家に、またしても都会から、若い夫婦が引っ越してきた。前の持ち主とはちがって、固く門戸をとざし、村の人々とはつきあいもしない。 必要意外に口をきくこともなかった。 ところが、以前とは打って変わって、評判がいい。 -今度の持ち主はよほど偉い人に違いない。その証拠には、我々を放っておいてくれるし、うるさいお説教もしない。 確かに立派な人たちだと、大いに尊敬したという。 何しろ本が手元にないので、細かいところは忘れたが、まずだいたいは以上のような話である。




興味のある方は是非読んでみてください。

児玉清さん

  • 2011.05.18 Wednesday
  • 00:22
 児玉清さんがお亡くなりになりました。

児玉さんとは勿論お会いした事はないのですが、ダンディさや、優しそうな表情のファンでもありました。

そして児玉さんのさらなるファンになったのは 児玉さんが監修をされた

「人生という名の手紙」を読んでから。

人生という名の手紙/ダニエル・ゴットリーブ

¥1,365
Amazon.co.jp

30代で交通事故のために頸椎を損傷し 四肢麻痺となったダニエルが自閉症の孫、サムに送った手紙。
包み隠さず自分の過去をサムに伝えながら 生きるということ、人生というものについて愛情あふれる言葉で書かれています。

自分の身に起こる、起こっている全ての事実を受け入れる勇気。
心。

こんな素晴らしい本を監修された児玉さんはきっときっと素敵な方であったに違いない。
私が自分自身でいたいと思うときに読みたいと思う 大好きな本の一つです。

一部抜粋

やさしくなるチャンス
>「強いふり」をやめれば平和になる

サムへ
動物の世界では、弱さを見せると相手は攻撃性をむき出しにする。
これは、人間の世界でも起こることがある。しかし私は、自分の弱さが人々のやさしさを引き出していることに気付いたんだよ。
私のためにドアを押さえておいてくれる人。
コーヒーにクリームを入れてくれる人。
コートを着るのを手伝ってくれる人。
毎日、こんな人に出会うたびに優しさを引き出していると感じるんだ。

それからこんな事も発見した。

人は親切な事をして誰かの役に立ったとき、幸せを感じるものだと。
車椅子から世の中を眺めれば、人間の一番いいところが見えるんだ。
けれども、悲しくなることもある。それは体に何の不自由もないような人たちが、私が毎日のように目にしている、人の優しさを見逃していること。元気な人は、人間がもっている優しい部分に気付いていないんだよ。
サム、君の弱さは、その輝くようなほほえみと共に、よい行いをしたい、人の役に立ちたいと願う人や、寛大な人を惹きつけることだろう。
だけど、君はどうなんだろう? いつか、君自身の優しい部分を表に出せるのであろうか?
人はまた、自分の弱さを見せまいと必死になり、自分を偽ることが多い。
でも、まず、自分から「強いふり」をやめない限り、相手も内に秘めている優しさをみせてくれないものなんだよ。



ご冥福をお祈りします。

最近読んだ本:科学の扉をノックする

  • 2011.04.22 Friday
  • 23:52
 

今週はたまたま打ち合わせ少なくインフルエンザの息子と一緒にいたので 久しぶりに本が読めました。 そして最後まできちんと読み切れましたあせる

著者が7人の科学のスペシャリストにインタビュー

天文学
鉱物学
遺伝子学
高輝度科学
粘菌
遺体科学
阪神タイガーストレーニングコーチ(?)

科学、、、、って 理科とはもちろん違うのでしょうが、はっきりいって 大の苦手でした。
それは今でも変わりませんが、「科学者」にはとても興味がわくのです。
ノーベル賞を受賞された方をみても なんかおちゃめな方が多くないですか?
「きっと科学っておもしろいんだろうな」って思わせるような 子供のような表情をした学者様。

ともかく、、研究されている内容は凡人には理解できない位難しいのでしょうが作家である著者がわかりやすくその研究内容を説明してくださってます。

私自身 特に興味がわいたのは 粘菌とタイガース以外あせる 粘菌はアメーバの仕組みが難しすぎる、、、


特に興味をそそったのは
東京大学総合博物館教授である 遠藤秀紀先生のお話。
遺体科学とは 先生の中では「平等に生命をいとおしむ学問」なのだそう。
ほ乳類の遺体を解剖しそこに隠された進化の秘密を解き明かす未来のための標本作り、、
目指しているのは 「無目的」なのだそう。
その意味は

サイエンスには元々目的なんかないんです。 
敢えて言えば、謎に対して好奇心で取り組んでいる。 それが、人が人であることのアイデンティティだと思っています。ところが、貴族の余ったお金でやっていた時代から、現代の民主社会になって、税金でサイエンスを賄っていくにはどうしたらよいか。当然、送料制限をかけなくちゃいけません。つまり、税執行に対する説明責任です。投じた税金に対して、決まったピリオドでもって、定量かされた返事を要求される。 特に現代の日本では、何年間でどれくらい特許をとりましたか、どれくらい商業化に成功しましたか。とそんな聞かれ方をします。 すると私みたいな人間は困っちゃうわけです。 新しい知を生み出すことに生き甲斐を感じているのに、それはお金に還元できないんです。 本来テクノロジーとサイエンスは区別されるべきなんです。

こういう状況ですから、私たちが遺体を集めて、骨にして100年でも200年でもとっておこうと思っても、それが許されないことになりますね。
すぐに返事が出るもの以外には投資してはならないのですから。

そもそも人類の知は、目的化された実行に対する答え、という形ででてくるものではありません。今、私たちは平気で120年前の骨をありがたく眺めることができます。 それによって新しい発見が日々生まれている。 当時の人間はまさか120年後に私が見に来るとは思っていないわけです。その流れの中で築きあげてきたものを、今、止めてはいけません。 たとえばお役所が、今年はネズミだけを研究してくださいと言って税金をだす。すると脇でコウモリが死んでいても牛が死んでいても、焼却炉に送るしかありません。そんなことをやっていて、博物館ができますか?学術ができますか。文化になりますか、というのが私の反論です。目的を掲げずに完結したプロジェクトを掲げずに、死んだ動物を無制限に集め続け、未来に残し続ける。 それが一番エネルギーが湧いてくることなんです
。」


いろいろな発見は、失敗の現場から生まれるといいます。
なので はじめから 目的を設定し、それについての研究成果を求める、というのでは 研究の幅に広がりがもたれないのではないかと 私は思います。

ある議員さんが 「2番じゃだめなんですか」という事をおっしゃっておりましたが この本を読んで
研究者は 1番になろうとか、2番になろうとか、そんなことではなく もっと深く、もっと長い時間、もっとゆとりをもった研究をさせてもらいたいのでは、と。


そして原子力エネルギーについてもですが、安全性をきちんと立証できる、実験できる、そして安全というならば その安全な運用の仕方を しっかりと研究できる土壌を 余裕ある予算のなかで行わなければならなかったのでは、、と思ってしまいます。

天文学にしても鉱物学にしても なんかロマンを感じられます。

本を読んで思ったのは 未来のためにも こういった分野に たっぷりと予算をつけ、不必要なところにはお金を使わない、そんな政治家がもっともっと増えてほしいな、という事でした。


長くてスミマセン・・・・・


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